のまみづきってどんな人なの??
愛媛の老舗お菓子屋さん勤務から仏具屋さんへ転職した熱心な仏教徒です
愛媛県今治市(旧越智郡)伯方島で1985年に出生。4人兄弟の3番目(兄2人、妹1人)。どこからどうみても長女です!
現在、実家にて両親と私の3人で暮らしています。(←私以外は全員結婚して別のところで生活中)
現在の主な活動
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- 仏具やさんでの長時間労働(まさかの6時-21時)←今までと逆!
- お寺の精進
- お寺めぐり
- お仏像、お香、お寺の勉強
生い立ち
幼少期はまさに活発な悪ガキ。よく言うと、前に出たがりなリーダータイプ
兄2人はどちらかというと、おとなしいタイプなのに、兄よりもはばしい女の子の私。いつも兄について山に登ったり、池に鯉を釣りにいったり、朝から日が暮れるまで海で泳いだりしていました。
自我が芽生えた頃にはスカートを履くことに、すごく抵抗を感じ、記憶がある中でも本当に何回履いただろうか?という程度しか履いてません。小学生の頃に年の離れたいとこの結婚式でドレスを着せられ、嫌で嫌で大泣きしていた記憶があります。(←制服としてのスカートは履いてました)
自己主張が激しく、なんでも自分の思うようにしたい。と、いつも周りを振りまわしてばかりいました。嘘もいっぱいつくし、今思えば完全に問題児!!
小学校5年生からいじめられっ子に変身
私の住んでいる島の小学校は田舎の為、1学年1クラスが当たり前で、1クラス20人くらいの極々小さな集団。
全校生徒100くらいでした。
いつも誰よりも目立っていて、鼻高々な私。(←最低ですね。)1学年上の6年生の女子のトップに目をつけられ(←当たり前!!!)、6年生の男女全員、同じクラスの女子上層部から、完全に仲間はずれにされ、嫌がらせを受けました。
仲間はずれにされていることよりも、「仲間はずれにされている子」と認識されることが、すごく嫌で、必死でなにもない振りをしてましたね。
今まで周りを踏み台にして順風満帆なスクールライフを楽しんでいた私にとって、耐え難い屈辱。
中学校になったら、隣の地区の小学校と合体して、人数は増えますが、メンバーは引き続き継続されるため、イジメの的としての役割も引き続き。。。
なにもないふりをすることが、相手の気にさわったのか、嫌がらせはどんどんエスカレートし、朝学校に行ったら上履きがビチョビチョに水浸しになっていたり、下駄箱に砂が山盛り積まれていたり・・・。
濡れてる上履きをそのまま履く訳にはいかないので、「シューズ忘れたので、スリッパ貸してください」と、涙をこらえながら職員室へ言いにいったのは今でも覚えています。
要するに目立つやつは嫌われるんだ
この時、私は悟りました。
中学校3年くらいからは付き合う人の種類を変え、勉強ばっかりしてました。
そのおかげで高校でも、当たり障りなく、楽しく、穏やかな高校生活を送ることができました。
人生2回目の挫折はホームシック
勉強頑張ったけど、進学校へは行かず、家から徒歩3分くらいにある地元の高校へ入学。
卒業後の進路は、私の学校からは受かった人がいない赤十字の看護学校への入学が決まりました。
母親から散々言われていた
「これから資格だよ。資格があればどこでも働けるから。資格が取れる学校に行きなさい。看護師が食いっぱくれないから看護師になりなさい。」
と、いう言葉のレールに乗り、ただただその学校に入学することだけを目標に勉強しました。
見事、合格でき担任の先生も、学校も大喜び!!
しかし、私にはその後の目標がなかったため、糸がプッツリ切れてしまったのです。
入学式の前の日が入寮式となっており、荷物の入れ込みを終えた母と妹が家へ帰る姿を見て、こんなところに私を置いていかれても・・・。
私も家に帰りたい。
初日から泣きましたね。
翌日の入学式に改めて母が来たとき、母の顔を見て、また泣きました。
入学式が終わっても毎日、毎晩泣いていました。
今思うと完全に鬱状態だったと思います。
授業中でも、なぜだか理由もなくただただ涙が出てくるのです(笑)
母は、なんとか私を思い留まらせようと、休みの度に片道2時間かけて顔を出し、街につれて出てくれたり、リフレッシュのために温泉へ連れて行ってくれたりしてました。
しかし、とうとう「もうやばい」と思ったのか、帰ってきてもいいよ。と言われ、翌日に帰り支度をして退学・退寮しました。
今振り返ってみると、母もそろそろ限界きてたのかなー。と思います。
帰ってきてもいいよ。って言われてからの私の行動はとてつもなく速かった。
2年間、自宅でエネルギーチャージ
その後、少し引きこもりを経て、島でアルバイトを始めました。朝と夜の掛け持ち。
いろいろやりましたね。
早朝の八百屋、懐石料理屋、定食屋、焼肉屋。。。ほとんど食べ物やさんでまかない付のところばっかり(笑)
食べることが好きな私は、やっぱり食べ物を扱う場所は好きでした。料理の勉強にもなりました。
20歳で大阪へ行く
ここまま島を出ることなく人生終わるのはもったいないよ。という母の一言で、なんの計画もないまま兄のいる大阪へ出て行くことにしました。
その前にヒポクラティックサナトリウムで、すべてをリセットしてから。
気持ちを新たにいざ大阪へ。
私と兄、一緒に住めるように大きな部屋を借りました。(3LDK、家賃10万8000円)←安い!超快適!!!!
お風呂も、キッチンも、リビングも広く、何の不便も感じない実家のような住み心地。
やってみたら?と薦められたカイロプラクティックの専門学校へ通いながら、大阪でもいろんな仕事をしました。パチンコ屋、スナックでも働きました。←母は、よく家を出ることを薦めたなぁ(笑)
2年で学校を卒業し、そのまま学校直営のサロンへ就職。
仕事もプライベートも超充実した日々を送っていました。
都会っていいなー。付き合う友達は自分で選ぶことができるんだ。
閉鎖的な田舎での生活は、小さな輪の中なので、気の合う人合わない人関係なく、まんべんなく全員と付き合わなくてはいけなかったのです。
当時でも少し違和感は感じていましたが、大阪に出てあの頃私が感じていた違和感は勘違いではなかったんだなーと思いました。
人生3回目の挫折は、失恋
25歳のころ、大失恋いたしました。
彼との思い出がある場所へ足を踏み入れることができず、プライベートで電車にも乗れず、街にも出られなくなってしまいました。
食事も喉を通らず、また毎日泣くだけの日々を送ります。
仕事へはなんとか行っていましたが行き帰りの電車の中で毎日泣いていました。
もう、この世の終わりと思ってましたね。生きていけないとも思いました。←バカですね。
早々に退職願いを出し、1ヶ月後無事に退職。実家へ戻る。
またまた2年ほど、実家暮らしでアルバイトしながらエネルギーをチャージ
帰れる場所があるって、幸せですね。
人生最大のチャレンジ!3ヶ月間フィジーへ行く。
その頃、未来世紀ジパングという番組で、語学留学するなら「フィジー」がおススメ!みたいな内容が放送されました。
もともと、海外留学(本当はシドニーにいきたかった。)へは興味があったのですが、金銭的な理由と、覚悟が決められなかったことで、実現することなくその日まですごしていました。
テレビを見たとき、妹が「行ってみんけん?」という一言で背中を押してくれ、一気に段取りを進め、出発の日当日を迎えました。
当初3ヶ月を予定していましたが、家族の不幸の知らせにより、急遽2ヶ月で帰国となりました。
しかし、このフィジーの地での経験は私のこれから先の人生や、これまでの人格をも変える驚異的な効果をもたらしました。
以前の私は
- いつも心に余裕がない
- 待つことができない
- 少しのズレも許さない(予定は予定通りに進まないと気がすまない)
- しょうがないを許さない
- 突然のことには対処できない(固まる)
- 物事の最初から最後までのシナリオ(道筋)ができてないと不安
ざっとこんなとこでしょうか??
全て改善されました。
そんだけ、フィジーでの生活が私の心にゆとりと安らぎを与えてくれたのです。
決して便利な暮らしではなく、今の日本では想像もできない程、発展途上の国!と感じたフィジーでしたが、不思議とまたいきたいな。と思う国、フィジーです。
その後、アメリカを2週間旅行し、すべてのスケールのデカさに感動し、価値観変わりました。
愛媛の老舗お菓子メーカーへ就職
フィジーから帰国し、成り行き任せで(ちょうどコネがあったので)今の会社へ就職しました。
入社当初は、すごくやりがいを感じ、休みもなく働いても、毎日毎日楽しくてしかなたない状況が2年近く続いていました。
しかし、その頃違和感を感じ始めたのです。
今の仕事が世の中のために、人のために役立ってることってあるのだろうか。
よく考えてみても全然探せない。
デフレの真っただ中で、需要と供給のバランスが崩れ、モノは有り余っているのに、欲しいという人がいない状況の中、おみやげなんてなかなか売れません。
在庫を抱え、予想通り売れないままに、販売期限切れ。。。(もちろん廃棄処分となる。)
これって、世のため人のためになっているのだろうか。
もったいないよね。
けど、普通の組織では上司のいうことを聞いて動くのが部下の仕事である。
『世のため、人のため』なんて関係ない。
部下は上司のために存在する。
そこまでです。
その先はなにも見えてこない。
この先10年も20年も、年末年始・GW・お盆と、繁忙期の永遠ループする人生は考えられない。
長く会社にいればいるほど今度は、この会社は一生大丈夫なのだろうか?とか、もし病気や怪我で今みたいに思うように働けなくなったらどうしよう?とか、違う不安が出てくるものです。
会社にいながらも不安、自分が挑戦したいこと、ワクワクすることをしながらもやっぱり不安。
どちらも不安なら、私自身がイキイキしてワクワクできる日常を選びたい。
自分以外の誰かほかの人の喜びを自分の喜びと感じられるような人生を送りたい。
と、思い始めて、仏道へどんどんのめり込んでいきました。
お釈迦様の御足跡をたどり、2019年3月にインドへも出向きました。
そのときの感動と衝撃は今でも忘れられません。
思い起こせば、瞬時にあの瞬間へもどることができます。
そんなこんなで、2019年7月、仏具やさんへ転職し、お仏像、お香、御数珠について一から勉強中です。
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- うわべだけ、という付き合いはない(そんな付き合いには時間もお金も使わない)
- 自分の気持ちに正直に生きる
- 旅行先にもかかわらず、よく道を聞きかれる
- 会社では、御来店されたお客様に最上の接客をすることはもちろん、強調性・調和を大切にみんなが働きやすい環境づくりをすることに力を注いでいる。
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