聖地参拝とはそもそもなんなのか?
聖地参拝とは、過去に上人方がたどられた御足跡を訪ねることです。
昔は、「精進」といえば、「聖地参拝」が中心で、歴代の上人方は偉大なる先輩方の御遺徳を自分自身の身心に頂くため、皆必ず実践していた。と聞いています。
聖地とは、佛、菩薩や偉大な上人方の生涯において、重要な出来事が起こった地、それらの方々が信仰の上で忘れることのできない重要なことをなされた地です。
仏教とひとくくりにいえど、日本では様々な宗派がありますよね。
有名なところでいくと、真言宗・空海(高野山)、天台宗・最澄(比叡山延暦寺)、日蓮宗・日蓮(身延山)、浄土宗・法然(知恩院)、浄土真宗・親鸞(本願寺)・・・。と、大事な人の大事な場所が、聖地と言われ、今も残っています。
- 生まれた場所
- 悟りを開いた場所
- 教えを説かれた場所
- 涅槃に入られた場所
そこへ訪れるとそれぞれの上人方の御遺徳をしのぶことができ、その縁を全身全霊で感じ取ることで、その思いを自らの心とすることが聖地参拝の目的です。
私は、昨年9月に法然さんに縁のある地を訪れたことがありますが、それはそれは素晴らしいご縁でした。
聖地と言われるだけあって、空気感が全然違います。
俗に言う、パワースポットというものは、こういうエネルギーのことなんだろうか。と思いました。
どの宗派の開祖方も、インドから伝わった大切な大切な仏法を何としても残していかなければならない!という強い思いを持って、御歌や文章で残してきたんだな。というのを、肌で感じるとはこのことか。行かんとわからんとは、このことだな。と思いました。
釈尊の四大聖地
私は縁あって、2019年3月頭から中旬まででインドへの聖地巡礼の旅に行ってまいります。
- ルンビニー (釈尊御生誕の地)
- ブッタガヤ (お悟りになった地)
- サルナート (初めて説法をされた地)
- クシナガラ (涅槃に入られた地)
その他にも、ナーランダ仏教遺跡、竹林精舎、七葉屈、王舎城(霊鷲山・七重の牢獄跡)等々、インドをぐるりと巡礼してきます。
釈尊は仰せでありました。(大般涅槃経)
「信心深き者が感動する場所は4つ(釈尊の誕生の地・成道の地・説法の地・涅槃の地)ある。その4つを巡礼し、清らかな心で死ぬならば、誰でも死して後、善きところにうまれるであろう」と。
釈尊縁の聖地に足を運び、その空間の中に身を委ね、釈尊が後世の私たちのために遺された大いなる御遺徳を自らの身心に受けてきたいと思います。
現代では、飛行機でインド「天竺」まで、ピューっと行くことができますが、三蔵法師の名で有名な玄奘三蔵は、国の掟を破り(昔は偉い僧侶は国の外へ出してもらえなかったそうです。)、16年にもわたる壮絶な旅の中で聖地を巡礼しました。これがあの有名な西遊記ですね。
水一滴もない広大な灼熱砂漠、氷河に覆われた極寒の大山脈、トラやゾウなどの野獣が潜む密林は、まさに命がけの聖地参拝だったと聞いています。
聖地を訪れるということは、それほどの真剣な心構えが必要だということです。
ほんっとうに貴重なご縁をいただき、深く考えれば考えるほど、身震いする思いですが、それにふさわしい心構えを持って、ご縁を全うしてきたいと思います。
そして、自分の信心を絶対に揺るぎないものに確立し、世の中の平和と人々の安寧のために、私にできることをやっていこうと思います。
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