良い将来を手にするために知っておかなければならないこと

善・悪の認識

長い人生の中で大切な岐路に立たされた時、日常生活の中でちょっとした判断に迷ったとき、何が善で、何が悪なのか知らなければ、当然ながら正しい選択はできません。

そこで、何が善で何が悪なのか、「知る」ということから始めたいと思います。

みなさまの中で、「自分は極悪人だ!!!」と思ってる方いらっしゃいますか??

あんまりいらっしゃらないのではないでしょうか??

そもそも私たちの想像する極悪人とは、人を殺したり、モノやお金を盗んだり、不正を行ったり、している人のことではないでしょうか?

人によっては、確かにを殺す人は極悪人だけど、ちょっと万引きしたり、ちょっとした不正をしたくらいで、極悪人とは大袈裟でしょ。っていう人もいるでしょう。

 

では、逆に「最近こんないいことをしました!私、善を行いました!」ていう人、いらっしゃるでしょうか??

これは、あるんじゃないですかね。

電車でお年寄りに席を譲った。←これはいいことですね。

最近席を譲るのも難しい世の中になってきましたけどね。

せっかくの善意で席を譲っても、「年より扱いするな!」と逆に怒られたりするというので、ビックリです。

しかし、席を譲る。というのはいいことだと思います。(一般的には)

果たして、それはほんとうに善い行いなのでしょうか??

十悪とは

仏教では人間が必ず行う10の悪として、十悪が説かれています。

その中には身・口・心で行う悪があります。

人間が必ず行うのです。

  1. 殺生(せっしょう)
  2. 偸盗(ちゅうとう)
  3. 邪淫(じゃいん)
  4. 妄語(もうご)
  5. 両舌(りょうぜつ)
  6. 悪口(あっく)
  7. 綺語(きご)
  8. 貪欲(どんよく)
  9. 瞋恚(しんに)
  10. 邪見(じゃけん)

上から3つが身(身体)で行う悪、次の4つが口で行う悪、最後の3つが心で行う悪になります。

それぞれがどういうものかは、調べてもらえればすぐに出てくるので書きませんが、これを見て、あー私はあんまり当てはまらないな。良い人生送ってるわー!って思った方いらっしゃいませんか??

殺しもしてないし、盗みもしない、嘘もつかない、悪口も言わない。

本人がそう思っていても、ここに出てくる10個の悪い行い(十悪)は、人間として生まれてきたからには『必ず行う』と説かれているのです。

まず殺生。普段車を乗る人は考えてもらいたいのですが、何も考えず目的地まで車を走らせている間に、地の中にいる生物の命、どれだけ奪っていると思いますか?

夏なんて夜になると、車のライトに集まってくる虫たちプチプチブチブチと何匹殺していますか??

まさに大量虐殺です。

もし、私たちの生きてる地球に超巨大なゴジラが現れて、足元見えないままに突き進むとき、建物や人を巻き添えにしてブチブチ踏んで行ったらどうでしょう?

「あー、ゴジラさん下見えてないからしょうがないよね!うん。」って、なるでしょうか??

「あいつー!絶対許さない!!」と、憎しみ、恨むのではないでしょうか?身内を殺された方なんて、なおさらですよね。

立場を置き換えてみてください。それでも私たちは悪人ではないでしょうか?

 

違う例もあります。

誰しも、生きていく上で食事は必要ですよね??

これは誰にとっても当たり前で、食べなければ餓死します。

では、お肉やお魚を食べる人と実際に生きている状態に手をかけて殺す人(狩人や漁師)、特に悪いのはどちらだと思いますか??

「私はお金を払って購入したものを食べている。なので全然悪くない!どっちかと言えば直接殺める漁師が悪いに決まってる!」

って思ってる方多いと思います。

しかし、本当にそうでしょうか??

漁師や狩人はあなたが「食べたい!!」というから、殺しているのです。

「豚が食べたい!鳥が食べたい!!」というから、殺しているのです。

逆にいうと食べたいという人がいなければ殺しません。

あなたは「おい!狩人!お金やるから鳥を殺してこい!!!」と、言っているのと同じです。

しかも、罪の意識はありません。

どうでしょうか??

漁師や狩人は直接自分の手で殺してるだけあって、いくらお金のためであっても悪いことをしている罪の意識があります。

私の知り合いのうなぎの養殖業をしている人は、毎年うなぎの供養をしているというのを聞いたことがあります。

自覚があるのです。

それに比べて、私たちは悪いことをしている自覚がない。1番質が悪いと思いませんか??

これをもってもまだ「あー十悪は私にはあんまり当てはまらないな。良い人生送ってるわー!」とのんきなこと言えるでしょうか。

十悪はすべての人間が生きていく上で必ず行うことなのです。

なので、辞めろ!といっても、必ず行うことなので、無理なのですが、まず自分が悪いことをしているという自覚を持つことが大事だということです。

そして、十悪を少しでも離れる努力をして、善の道を歩みましょうということです。

善とはなにか??

仏教で説かれる善とは「本当の善」のこと。

では「本当の善」とはなんなのか。それは「偽りでない」ということです。

冒頭に例にあげたお年寄りに席を譲るというお話ですが、果たしてそれは本当の善だったでしょうか??

「年より扱いするな!」といわれたとき、どんな気持ちになりますか?

ごめんなさい。って思う人もいるでしょう。あー言うんじゃなかったな。と思う人もいるかもしれません。

では、これはどうですか?

「当たり前でしょ!あんた、若いんだから最初っから立ってなさいよ!!!」っと言われたら、どんな気持ちなりますか??

これは、腹が立ちますね!!私も腹が立ちます。

本当の善とはなにか

本当の善とはなにか。

それは、偽りではないということ。言い換えると、見返りを求めないということです。

先ほどの件ですが、あんた若いんだから!と言われて腹が立ったのはなぜでしょう??

「ありがとう」と言ってもらえると思っていたからではないでしょうか?

感謝されたいと、思っていたからではないでしょうか??

それは本当の善ではありません。

偽りの善、すなわち「偽善」となります。

そう考えると、善を行うということが、どれほど難しいかということです。

お釈迦様はおっしゃっております。

「曽無一善」。人間は皆、極悪人である。身と口と心で悪ばかり行い、過去にも、これからも一善もやれないのが人間だという意味です。←お釈迦さまも認めておられます。

まずそのことを自覚することが大切だと思います。

仏教は自覚の宗教といわれますが、まず自覚し、それを踏まえて実践するのです。

自分は極悪人である。私のようなものでもなにかさせていただけることはないだろうか??

極悪人だという自覚ができてきたら、「私のようなものでも」という謙虚な心が芽生えます。

そうして行った「善い行い」には「善い結果」が出るというのは、仏教のすべてといわれている『因果の道理』の通りです。

『因果の道理』についてはまた日を改めてお話ししたいと思います。

善い行いをすれば、善い結果が出る。のですが、究極の話、いい結果が出ない。なんで?なんで?と今悩んでるあなた。

善い結果を望むなら、善い種を撒かなければならないのです。

 

この記事を読んでくださった方が、いつまでも、キュウリの種を撒いて、メロンができない。。。と悩んでいる日常を少しでも早く抜け出すヒントになれば幸いです。

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のまみづきです。 しまなみ海道のちょうど真ん中にある島に住むしまんちゅ(32) 好きなこと→説法聴聞・旅。ハマっているもの→マインドフルネス。昨日よりも今日、今日よりも明日が少しでも上向きになるよう日々努力して生きています。